透明世界 とは
私たち人間は、生まれた環境により異なる教育を受けて自我を芽生えさせ、そこから見聞きして、さらに自分なりの正義というものを作り上げていきます。
ある人には当然のことであったとしても、他の人にとっては非常識極まりない、ということはよくある話です。
そして、そこからいがみ合いや争いが勃発するという残念な図式は、現代に至るまで変わらずに存在しています。
私たち人間の自我は、自分こそが正義であると信じて、相手を悪だと決めつけます。
その瞬間、私は白、相手が黒、という色をつけます。
ですが、相手からすると、私が黒、相手自身は白、と真逆の色がつけられます。
この両者を第三者が客観的に見ると、互いに色をつけ合っていますから、それらが混ざって灰色に見えます。
ここではわかりやすいように、白、黒、灰色で説明しました。
実際には「自分こそが正しい、正義である」と思った瞬間に、その色はもはや何色かもわからないような汚らしい色になってしまいます。
補足ですが、実際にエネルギーのいくつかの層を感じられる人たちから聞いた話です。
人の意識にも、白、桃、赤、橙、黄、緑、青、紫など清々しい色だけでなく、濁った色など、さまざまなのだとか。
色の変化は、存在のそのときの意識状態と感情の浮き沈みなどで起こっているそうです。
お互いに正義を主張しています
何かを判断するときに邪魔になるのは「自分が自分が」という自我からなる思考である場合がほとんどです。
地球を含めたこの宇宙は自分ひとりのものではなく、みんなのものだということを頭では知っています。
多くの人々が心の底から平和を願い、戦争のない世界を!と訴えているのも事実です。
しかし、夫婦げんかも戦争と同じ波長なのです。
全く違う話のように聞こえたかもしれませんが、夫婦げんかの延長線上に戦争があります。
夫婦げんかをやめられなければ戦争もなくなりません。
自分から見た相手は悪になります
相手から見た自分は悪になります
客観視するとどちらも灰色に見えます
ならばすべきことはひとつです。
「自分が正しい」と「相手が悪い」という凝り固まった思考を手放し、「調和の場」に立って互いが偏りなく判断をする。
白でも黒でも灰色でもない、争いのない色「透明」こそが問題を解決できる手段であるとわたしたちは感じています。
このような思いから、
店名を「透明世界」と名づけました。
新しい時代が、争いのない平和な
「透明世界」
でありますよう願っています。